育児漂流2.X

育児漂流 記憶と記録

むかしあそび なやましきもの

小学一年生の生活科に「むかしあそび」というものがある。

 

昔遊び……けん玉とか、お手玉とか、あやとりとか、おはじき、そういうのを授業でやるんだよね。
タイミングとしてはちょうどこの時期。年があけてしばらく経った頃だったと思う。
子どもらが通っている学校では、例年、地域からシニアのボランティアの方がいらして、そういった昔遊びの講師をして下さる。
これは大方のお子さんにとっては楽しい授業だと思う。けれどまあ、たまに。そう。たまに、ね。楽しめない子もいるのだ。現在小4のうちの兄さんのように。
この手の昔遊びが物凄く苦手な子はいるものだ。けん玉、お手玉、あやとり……どれも普通に器用でないと、というか、協調運動が苦手だと厳しいものだ。 
そういうわけで、身体の動かし方がいまいちよくわからないタイプの彼にとっては、なかなか厳しい授業だった。

3年たって、娘の方にもそろそろ同じ季節が巡ってきそうなので振り返ってみる。

 

***

 

この授業については実際の様子を見たことがある。公開授業だったのだ。
いくつかの昔遊びを班ごとに順番に体験していく授業だった。

 

まずあやとり。隣の子とペアを組んで簡単なものにチャレンジする。ちなみにボランティアの方は複数いらしていて、マメにサポートをしてくださる。うまく出来ない子のところにはよく回ってきてくださる。それで彼のところにも良く来てくださる。
けれど、一通りのことを説明されても、なかなか彼は差し出されたあやとりに手を出さない。どの糸を取ったらいいのかわからないのかもしれない。または「この糸を取って」と言われて「取って、それで……?(その後をイメージできない)」となっていたのかもしれない。
その辺りは今となっては分からないけれど、とにかく彼のペアは殆ど固まったまま(たまに首をかしげながら)ほとんど動きがないまま終わった。

続いておはじき……これはペアを組んだお子さんが自分一人でおはじきをはじくことに集中し始めたので、彼は手持ち無沙汰になったようだ。そのうち彼も一人でポチポチとおはじきをはじいて、そのうち終了になったように記憶している。
ボランティアの方も、あやとりやお手玉など、よりヘルプが必要なものに挑戦している子の側についておられたのかもしれない。
中には女の子同士でかなり盛り上がったペアもあったようだけれど、彼らについては不完全燃焼のままで終わった。

 そしてお手玉。(その日はけん玉はやらなかった。スペースの都合だろうか? 保護者も来ていて狭い教室で、あの玉が飛び交うのは危ないのかもしれない。)
彼にとってはこのお手玉が特に良くなかったようだった。
「できない」。
子どもたちの中で彼だけが明らかに「できない」。
未経験の子が多いので無理はしない。両手に一つずつお手玉を持たされて、右手のお手玉を上に放り、その間に左手のお手玉を右手に移動させる。基本的なものに挑戦する。
大体の子が出来る。多分この日初めてチャレンジしたのではなくて、授業で事前に練習のようなものもしていたのだろうと思う。
けれど彼は右手のお手玉を放ったまま左手が動かない。
そのまま右手で受けたり、床に落としたりする。
見かねたボランティアのご婦人が彼の側にやってきて見本を見せて下さった。
「こうするの。」
右手のお手玉を上に放り、その間に左手のお手玉を右手に移動させる。
けれど彼は右手のお手玉と左手のお手玉を同時に放った。
「そうじゃなくて……。」
けれどもやっぱり彼はお手玉二つを同時に放ってしまう。
「……。」
これを何度か繰り返したところで、ご婦人の顔が引きつった。
(何でこんなことができないの……!?)という心の声が聞こえてきそうな、あるいは(もしかしたらこの子はふざけているのかしら……!?)とでも言いたいのかもしれないような、明らかにイラっとしている様子。やりとりが険しくなる。
けれど彼はふざけているわけではない。大まじめだ。
どうしてもやり方が分からないものをやらされているのでモチベーションは下がっていると思うけれど、ふざけてはいない、はずだ。

それにしても件のご婦人の「何でこんなこともできないの……?」という圧。
あれはとても嫌なものだ。この圧を全く受けずに生きて行ける人は少ないと思うけれど、私も経験している。特に実母からの圧がキツかった。母自身に「教え下手。伝え下手。」の傾向があったので、なおさら。(そして、伝え方が下手な人間ほど「何でこんなことも出来ないの?」を言いやすいものだ、ということは自らの肝にも銘じるところだ。話が逸れた。)

ちなみにこの平成~令和の世で学校の先生がこういう圧を掛けることは、うちの子らの学校についていえば、ないと思う。彼は協調運動が苦手なので、特に体育の授業では出来ないことも多い……。でも彼は体育の授業が嫌いではない。むしろ好きらしい。
ボランティアのシニアの方々は、子供の相手はお好きでいらっしゃって、多分得意でもおありなのだろうけれど、こういうイレギュラーな傾向のある子の取り扱い方についてはあまりご存じないのかもしれない。
けれど、先生方はその辺りをちゃんとご存知なのだということかもしれない。少なくとも、息子が大まじめにやっているのにこういう様子だということは、先生方はよく理解して下さった上で、彼に接してくださっているという実感がある。これまでの四年間、ずっと。


先日、息子に「そういえばあの授業ってどうだった?」と三年越しの感想を聞いてみたら「一年生のとき、一番しんどい授業だった」と彼は振り返っていた。
「そういえば、あの授業のせいでしばらく地域のおばあちゃんたちが怖くなったよ……。ボランティアの人、めっちゃ怖かったよ……。」
などと語っていたっけ……。
けれど、多分ほとんどのお子さんたちにとっては、これは楽しい授業なのだろうとも思う。なやましきもの。
「仕方ない。これも経験だ。」
世の中にはそういうこともある。

 

娘も昔遊びは苦手そうな感じがする。けれど今年はもしかしたら、こんな情勢なのでボランティアの方はいらっしゃらないかもしれない。
先生や友達と一緒に、それなりに楽しく過ごせたらいいね、と、思う。

 

ちなみに、苦手だらけの昔遊びの中でも、彼は折り紙、特に現代折り紙(いわゆるコンプレックス折り紙と呼ばれるもの)だったら、ボランティアのご婦人たちを唖然とさせるレベルの腕前だ。
強気な表現だけれど、これは賭けたっていい。それぐらい彼は自信を持っていい。
彼はこの「むかしあそび授業」のおよそ半年後、夏休みの自由研究で「ツル星人」を折ることに成功している。

けれどこの授業では折り紙はやらなかった。残念だったね。

 

***

 

でもさ。ツル星人が攻略できるのに、あやとりが良くわからないって珍しい子じゃない?
彼の能力は偏っているのだと思う。けれどそこに可能性のようなものもあるんじゃないかと思う。

 

 

 

 

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